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2018年7月22日 (日)

ひと月早い終戦記念日

7/16

Iwさんが暑中見舞いに誘って下さった
例によって 蔵すしへ、
食べたいものを食べ、しゃべりたい事をしゃべって一時間余り、
腹具合と、おしゃべりは、衰えのないのが不思議、

彼女の知り合いのOさん、その方から預かったというプリント、
それは太平洋戦争の記録お父様の貴重な資料の写しらしいが、
たった一度おめにかかっただけなのに 気にかけて下さった心遣いに感謝、
勿論Iwさんあってこそのことだが、大事にしたい交友の一つになりそう

~~~~~
      
Iwさんから受取ったプリント、
    なに これ?
    Oさんからよ、あなたにも上げてと預かったのよ
    彼女のお父さんが(映画監督らしい)書いておいたものだって

ご当人は現在入院中との事だが、娘さんが(
プリントくれた人)整理して見つけたそうだ、
 
帰宅して拝読

それはまるであのころ、あの時に見た事、聞いた事が写し出された様に克明に
書かれていて胸を締め付けられる思いでひと息に読み終えた

真珠湾から始まって それは延々と・・・敗戦へと進んで行く様子が かかれていた 、
戦地でのご苦労は耳にするだけであったが、
終戦の日の玉音放送はまるで画にかかれたように
蘇ってあの暑かった夏の日が つい昨日の事のよう記憶をかき立てた、 

~~~
その日の朝
   
    天皇陛下の お話があるんだって~
そんな噂で騒がしかったあの日、あの朝、

我が家のラジオがよく聞きとれなかった、1
隣のおばさんがうちへおいでと言うのでそれに従った
天皇陛下の声はどんな声だろうとラジオの前に正座して聞き耳を立てた
近所の人が何人も座っていた

どうも戦争が終ったらしいと言う事だけは解ったが、
   まさか、まさか、負けたなんて、そんな筈は 
隣のおばさんが、 
  、あぁ、うちの子も幸ちゃんも(うちの弟)兵隊に行かれなくなっちゃったねぇ
と涙声、

  戦争に負けたんだよ、  と、しゃくりあげた
  だから もうB29は来ないよ

そうそうあの時、 咄嗟に閃いた事は 
  ”今夜から電気に黒いカバーをかけなくていいんだぁ”と言う事、だった
あの日は慌ただしい そんな一日だった とても暑かった

戦争をしらない人たちが大半を占める時代になったが こうして記録しておけば
どこかで 誰かが 読んでくれる、あるいはお仕事柄 次の作品にとお考えだったか、
ご当人はどんなつもりでおられたか知る由もないが読むほどに
こみあげる驚き、慌ただしさ、不安が迫って心穏やかではいられなかった

夜毎の空襲、B29と言う でっか~い飛行機が毎夜 毎夜 
夜空にその姿を映して あざ笑うかのように東の空へ飛びさっていった、

サイレンの響きにおののいた夜も、赤く燃え上がった下町の空も、
今になれば一幅の画でしかないが そのころは 
今にも爆弾が落ちてくるかもしれないと震えおののいたものだ
こうして生きながらえているのが 不思議だ、

娘心の甘酸っぱい思い出が、いつも腹ペコだったことが 駆け巡った瞬間、 
熱いものが限りなく頬を伝った

そうだったわ、その少し前に父は亡くなっていた
昔堅気の父が生きていたら 何といったであろうか 
すぐ下の弟は少年飛行兵で満州から大分へ移って駐屯していた
満州にいたら 戦後のどさくさで日本へ帰れたか疑問だ
数日後の帰還第一声
   駄目だぁ~ と一言! 汚れた軍服で玄関に崩れるようにへたりこんだ
    

今年の終戦記念日に新たな一ページが加わりそう、
Oさん、有難う、心新たに読ませていただきました お父様お大事に、
一か月早い私の”終戦記念日”

 

 

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コメント

実際に体験された方のお話は心にしみますね。

私も胸に刻みます。

投稿: まゆクー | 2018年8月 4日 (土) 02時19分

まゆさま
遠い昔のことですがわすれられません

投稿: さえ | 2018年8月 4日 (土) 16時01分

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